極限さんの遊び心

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友人との思い出の鉄拳3の話

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1997年にアーケードに出現して、1998年にはPSに移植された鉄拳3。

 

数多くの格ゲーで遊んできた私ですが、この時期になると必ずこのゲームを想い出します。

 

当時の私は夜の仕事で、キャッチがメインだったのですが

 

隙を見ては24時間稼働のゲーセンにいって鉄拳3で遊んでいました。

 

夜中の1時でも2時でもこじゃれたジャケットを着た人達が夢中で鉄拳をやっていた光景は後にも先にもこの時だけだったと思います。

 

家庭用に移植されても人気にかげりはなく、家で練習してはゲーセンに行く日課は変わりませんでした。

 

とはいっても、私はそこまで上手いわけではなくて3人くらい勝てればその日は調子が良いと思うレベルでした

 

そこでお店で働いている女の子の彼氏が鉄拳大好きで上手いと聞いて、彼が働いているBARに仲良くなりたくて通いました。

 

彼とはすぐ意気投合してすぐに仲良くなれました、彼の年齢は2つ下でしたが

 

私は弟子の気持ちだったので先生と仰ぎ尊敬していました

 

マサヤくん(仮名)は普段からハーレーに乗っていてライダースジャケットが似合う大柄な人でした

 

見た目はいかにもバイカーな感じでしたが温厚と物腰がやわらかい人でした。

 

休みの日には自分の家までぼろぼろになったムック本(技などが書いてある攻略本みたいなものです)を持ってきて家で鉄拳を教えてくれました。

 

彼のメインキャラはポールで、性格とはうらはらにとても攻撃的な動きが特徴的でした

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同じバイカーとして恰好が好きなのが一番の理由らしいですが、彼のヘアースタイルは植木鉢ではありません。

 

私は比較的操作が簡単なキャラのロウとか使っていましたが、彼に平八を薦められて

そのまま平八をずっと練習していましたね

 

いつものゲーセンでも当たり前のように30人抜きが出来るようになったころには

マサヤくんとは遊ばないようになっていました。

 

彼は仕事が忙しくなってきて、彼女とも結婚をするつもりで必死だったので

 

私は遠くから様子を伺う程度で、たまにお店にいって軽く飲んで話す程度でした

 

私が鉄拳でこれくらい強くなれたというと、だから言ったろ、絶対強くなれるって

 

と言ってニコニコしながらお酒をおごってくれてました

 

しかし家庭用が出てから3か月もした頃に彼がバイク事故で亡くなったと知らされました。

 

一緒に乗っていた彼女は無事だったのですが、マサヤくんは帰らぬ人になってしまいました。

 

私の手元に残ったものは、ぼろぼろのムック本でした

 

彼との時間はそこまで長いものではなかったかもしれませんが

 

今でも一緒に遊んだ記憶が鮮明によみがえります

 

今はちょうどスト5を必死に練習していますが、ふと格ゲーをやっていると彼が頭をよぎります

 

ゲームでつながったからこそゲームをしていれば忘れない大事な思い出にもなりました

 

お墓参りには今は行ってませんが、心の中でご冥福をお祈りしております。

 

マサヤくんの分まで、まだまだ私はゲームおじさんとしてゲームをしていきます。